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君がいたらから 02

「副長、旦那がこられました」
「おう、通せ」
密偵の山崎が、麩の向こうから声をかける。 間髪いれずに土方の声が、漏れてきて。 それを聞いた山崎がやわらかく襖をあけて、俺に手で入るよう促してきた。
どーもと小さく礼を言いつつ、中へ入り後ろ手で麩をしめる。 山崎が部屋から離れたのを気配で悟った俺は、そのまま適当な場所へドカっと腰をおろし、土方の方へ顔を向けた。
しかし土方は、こちらを見ようともせず黙々と書類の山を片付けることに精を出している。 この状態で声をかけてもまともな返事は帰ってこないだろうと判断した俺は、ぐるりと部屋を見渡したあと、手持ちぶさたな指をいじり時間を潰すことにした。
土方も俺も声を出さないので、部屋の中はシーンと静まり返り普段なら絶対に聞こえることのない時計の無機質な針の音が響く。 さわさわと風が木を揺らす音。 遠くから聞こえてくる、ダンッと床を踏みしめる音や、メーン!と叫ぶ隊士の声。 暇つぶしにと、耳を傾けてほかには何か聞こえないか探ってみた。
「…おい」
目を閉じて耳を傾け、音を聞いていたら唐突に俺を呼ぶ声がし、緩慢な動作で相手の方へと顔を向ける。 雰囲気から察して今日はプライベートではなく仕事として、呼んだようだ。
「…密偵から連絡があってよ、さっきガサ入れにいって帰ってきたところなんだが…」
ああ、嫌な予感がする。と俺の頭が警報を鳴らす。 真選組がガサ入れをするとしたら、凶悪犯かもしくは攘夷志士と相場が決まっている。 それでも俺は、土方の言葉を待った。
土方は、言いにくいのか何なのか、言葉を途切れさせては迷うように、動かしている筆を止める。
「…一枚の写真を見つけた」
ピッと、投げて渡された一枚の写真を器用にキャッチし、ん?とその写真を覗き込む。 そして、一気に身体は硬直した。 なんで、どうして、この現場を収めた写真を持っている奴がいるのか。 ぐるぐると疑問だけが頭の中を回る。
写真を手に握ったまま動かなくなった俺を心配したのか、土方は乱暴な手つきで俺から写真を奪い返すと、ふんと鼻をならした。 いや、前言撤回。心配なんて微塵もしていないようだ。 どうにもカンに触る態度の土方に俺はとぼけてみることにして、軽く乾いた笑いをこぼす。
「…んで、鬼の副長さん、その写真がどうかしたわけ?」
土方なら、きっと信じてくれると、そうどこかで確信していた。
「おい、とぼける気か?どう見たってそれお前だろうが」
あぁ、そうだ。この写真に写ってるのはこの俺だ。だからどうしたって言うんだ。 部屋の中にもかかわらず煙草をふかす土方は少し、怒っているように見える。
「俺だ…っていったらどうする?」
一本目の煙草を灰皿にこすりつけ、二本目の煙草へと火をつけようとしていた土方の手が止まった。 ライターから飛び出した火が引火先を見つけられず、ゆらゆらと空中で踊っている。 妙な緊張感を抱いた俺は、それを眺めぽりぽりと頭をかいた。
「決まってんだろ」
二本目の煙草へと火がつけられた。 くすぶった火が煙を吐き出し、それを体内へと取り込んだ土方は間をあけてそれらを堪能したあと吐き出す。
「過去は過去でも立派な攘夷運動だ。やることは一つしかねぇだろ」
それは俺自身もよく知っている事だった。 それでも、少なからず好意を寄せていてくれた相手だ。 俺は、少し甘く考えすぎていたのかもしれない。 けれど、黙っていたからって何も…。
「白夜叉といえば攘夷戦争の希望の光だ、始末しなければならない。白夜叉が死んだとなれば、攘夷志士たちも落ち着くだろ?すべて…国のためだ」
「…へぇ…」
俺との想いよりも国を取るというのか、この男は。
「俺たちはお上には逆らえねぇ。近藤さんを守るためにも…それに、殺人鬼を生かしてはおけねぇからな」
なんの焦りも、苦しみさえも顔に浮かべず淡々と告げる口に、少しの怒りを覚えた。 そして、それをなんとも思っていなさげな土方自身から殺人鬼と言われたことに、寂しさを覚えた。 俺という存在よりも、近藤を取るのか、と惨めな嫉妬さえも浮かぶ。 怒りや寂しさ、嫉妬が行き場をなくして俺の中を駆けずり回る。 座ったまま、強く拳を握り締め必死に動こうとする体を押さえつけた。
「…お前と付き合ってたのは、これを探るためだ。だからもう…用無しだな…白夜叉どの?」
嫌味ったらしく言い放った土方は満足したのか、すっていた煙草を灰皿へと捨て、さばいていた書類へと目をもどす。 そして俺をチラ見したあと、再び写真へと視線を落とし最後の言葉をくれた。
「…鬼だなこりゃ、よくもまぁ…ここまで酷いことができるもんだ」
…正直に言えばこのあと土方を殴ったのか覚えていない。 ただ、土方から鬼といわれ、俺よりも近藤や国が大事だと言われ白夜叉である俺自身を否定し裏切った。
それが悲しくて、苦しくて。 そして気がつけば、屯所から飛び出してよく土方と通った橋の上まで来ていた。
「…はは…ばっかじゃねぇの俺…」
よくよく考えてみれば全て自分が悪いのだ。 橋の上からほどよい水位で流れる川を眺める。 水面に映るのは青白い顔。 いつもののほほんとした表情は消え失せ、何かに傷ついたような顔をしている。
土方に言われた殺人鬼なのは本当だし、恋人と仕事を天秤にかけること自体間違っているのだ。 それなのになぜこんな顔をしているのだろう。 そして、それを棚に上げて悲しいなどど言う資格が自分にはあるのだろうか?
数年まえ、孤児だった自分を拾ってくれた先生を殺したのは幕府だ。 妙な言いがかりで先生を連れて行き、異端だと勝手に判断して処刑したのは幕府だ。 だったら俺を殺人鬼にしたのは幕府だ。
幕府が先生を殺していなかったら俺は白夜叉ではなかっただろうに。 そもそも戦にさえでなくても済んだのだ。 なのに、それなのに俺を殺人鬼と、鬼と呼ぶ。 あの頃と同じ大人の目で俺を見て、否定した。
だけれども、あそこで俺が我慢をしていれば戦には参加していなかったのかもしれない。
思考は回る。 俺の意思とは関係なしにあれやこれやと、仮定を浮かべては打ち消してゆく。
ゆらゆらと揺れる俺の顔は泣きそうなほどに歪んでいた。 何をそこまで悲しむ必要があるのか。 もともと、ダシにされることはよくあったことなのに。
「どうして…」
こんなに悲しいのだろうか。



そして気づいたときには、水面が近くまで迫ってきていて。
俺は川に身を投げていた。